What you’ll learn
- 患者指導と行動変容ステージモデルの関係と、見立ての先で止まる場面
- 患者さんが指導を守れない理由を説明する行動経済学の考え方
- 現在志向バイアスや解釈レベル理論など、原因別の対処のヒント
- 患者さんの自律性を守りながら行動経済学を使うための原則
何度説明しても、患者さんの生活が変わらない。自分の伝え方がまずかったのだろうかと、思った経験はないでしょうか。
指導が行動につながらない理由は、行動経済学で説明することができます。人間の意思決定には、理解した内容をそのまま実行に移しにくくするクセがあるからです。この傾向は研究で繰り返し確認されてきました。さらに、患者さん一人ひとりの事情は同じではありません。それでも、動けない場面で働くクセにはいくつかの型があり、その見立てに応じて働きかけを選べるのです。
本稿では、行動変容ステージモデルとの関係を整理したうえで、患者さんが指導を守れない心理的原因を行動経済学から読み解いていきます。また原因別の対処と、患者さんの自律性を守るための原則もあわせて紹介します。
患者指導と行動変容 — ステージモデルで現在地を整理する
患者指導の分野で行動変容を考えるとき、広く参照されてきたのが行動変容ステージモデルです。患者さんの変化への準備状況を、無関心期から維持期までの5段階でとらえるモデルで、禁煙支援や保健指導で活用されてきました。このモデルの詳細は行動変容ステージモデルの解説記事で紹介しています。
ステージモデルを使うと、患者さんが今どのステージにいるかを見立てやすくなります。また、無関心期の方と準備期の方では、患者さんにかける言葉も自然と変わってくるはずです。
ただ、現場の悩みは見立ての先にあることが多いものです。というのも、段階を見立てて説明を変えても、患者さんの生活が変わらない場合があります。この場面で必要になるのは、患者さんがなぜこちらの説明の通りに動いてくれないのかを理解することです。
行動経済学は、人が必ずしも合理的には動かないという前提に立ち、意思決定の傾向を実験で明らかにしてきた学問です。ステージモデルで現在地を整理し、行動経済学でその原因を読み解く。この組み合わせが、指導を実際の行動につなげる解決策になります。
指導が行動につながらない理由 — 行動経済学の視点
患者さんが指導を守れない場面で働いているのは、人に共通する意思決定のクセです。その一つひとつには研究で名前がつけられ、種類ごとに整理されてきました。
私の著書『行動経済学が最強の学問である』では、行動経済学を「認知のクセ」と「状況」と「感情」の3つに分類しています。患者さんが指導通りに行動しない原因も、この3つの視点で整理することができます。
一つ目の「認知のクセ」は、人の頭にもともと備わっている考え方の傾向です。今を重視して将来を軽くとらえたり、先の計画を甘く見積もったりする働きを指します。
二つ目の「状況」は、患者さんを取り巻く環境や、周囲の人の行動です。人の行動は本人の意志だけでは決まらず、その人が置かれた状況から大きな影響を受けます。
三つ目の「感情」は、不安や気の重さといった、意思決定に影響する心の動きです。
本稿ではこのうち、指導が守られない場面と関わりの深い4つの理論を取り上げます。声かけに使える理論は行動変容を促すアプローチの解説記事で、認知のクセの全体像は認知バイアスの一覧記事で紹介しています。
「守れない」の原因別に考える — 患者指導に活かす4つの理論
ここからは、患者さんが指導を守れない場面を4つの理論で読み解き、対処の方向を探っていきましょう。4つとも私の著書で紹介してきた理論です。患者さんとの面談の組み立てと伝え方の工夫で、日々の患者指導に取り入れられます。
現在志向バイアス — 健康の利益は遠く、負担は今ある
現在志向バイアスとは、今この瞬間の利益や快楽を、将来得られる大きな報酬よりも優先してしまう傾向のことです。3分類では「認知のクセ」に当たります。詳しくは現在志向バイアスの解説記事をご覧ください。
患者さんの生活改善は、この傾向と正面からぶつかる課題です。例えば、減塩や運動で得られる健康は、何年も先にならないと実感できません。一方で、そのための負担は、今日の食卓や今日の予定、つまり「今」現れます。結果として、遠い将来の利益より、今の負担を避けることが優先されがちです。
時間のとらえ方には、双曲割引モデルというクセも知られています。近い将来については少しの時間の差も気になるのに、遠い将来になると時間の差が気にならなくなる傾向です。開始日を遠くに置いた計画ほど、先延ばしの影響を受けやすくなります。
拙著『ポジティブアフェクトで幸せの仕組み化』では、こうした先延ばしのクセをまず自覚するよう勧めました。クセを自覚することで、将来を見据えた行動への手がかりになるからです。この見方は、患者さんとも共有できます。先延ばしが誰にでも起こることであるとわかると、患者さんも落ち着いて自分の生活を振り返りやすくなります。
そのうえで、遠い健康の話に、近い変化の話を添えてみてください。数週間単位で確認できる数値や体調の変化を一緒に決めておくと、いま行動することによる利益(メリット)が今に近づきます。例えば、歩数や睡眠時間の記録など、家庭で手軽に測れる項目などが挙げられます。
解釈レベル理論 — 遠い予定ほど「本当にできるか」が見えなくなる
解釈レベル理論とは、物事をどれだけ具体的にとらえるか、抽象的にとらえるかについての理論です。人は、時間的・空間的・心理的・社会的な距離が自分から遠いほど物事を抽象的に考え、近いほど具体的に考えます。3分類では「認知のクセ」に含まれます。
先ほどご紹介した『行動経済学が最強の学問である』では、ホテル付きハワイツアーの例を取り上げました。「来年の夏休みはハワイに行こう」と考えている段階で顧客が思い描くのは、海や街並みといった抽象的なイメージです。ところが、出発が直前に迫ると、思考は空港からホテルまでのアクセスや部屋の設備やアメニティなど、より具体的なことへと変わります。
患者指導との接点の例の一つは、計画に同意してもらう場面にあります。1か月先の生活改善は、患者さんにとってはとても遠い予定です。遠い予定は「やるべきかどうか」で判断され、「本当にできるか」までは具体的に検討されません。面談で患者さんから前向きな返事が返ってきても、いざその日が近づくと、仕事の都合や家族の食事といった、より具体的でリアルな事情が出てきます。
対策としては、面談の中でその距離を縮めておくことです。開始日を先に延ばさず、直近の1週間について、いつ、どこで、何をするかまで一緒に具体化します。具体的に考えて初めて、見える障害をその場で先に見つけておくと、計画はより実行しやすくなります。
計画の誤謬 — 生活改善の計画は甘く見積もられる
計画の誤謬とは、何かを実行するために必要な時間やコスト、労力を過小評価してしまう傾向のことです。あらゆる計画は甘く見積もられがちだと研究で示されており、3分類では「認知のクセ」に分類されます。
背景には2つのクセが重なっています。まず、物事を楽観的にとらえる楽観バイアスです。計画を立てている時点では「たぶんうまくいくだろう」と考えます。加えて、先ほどの解釈レベル理論です。先の予定は抽象的にしかとらえられないため、実行段階になって生じる障害が、なかなか計画に織り込まれません。
患者さんの生活改善でも、同じことが起こります。「毎日30分歩く」という計画は、立てた時点では無理のない目標に見えるでしょう。しかし、実際の1週間には、残業の日も、雨の日も、体調の優れない日もあります。そして、計画通りに進まなかった経験は挫折感を生み、次にまた挑戦することをためらわせてしまいます。
著書では、対処の方法も紹介してきました。一つは、うまくいく前提を手放し、最悪のシナリオを基準に時間を見積もることです。もう一つは、やるべきことを細かく分けて、それぞれの所要時間を出すことです。前者を患者さんの計画づくりに当てはめるなら、できない日が週に2日あっても続いているとみなす、と決めておきましょう。うまくいかない日を最初から計画に含めておくと、挫折感が生まれにくくなります。
社会規範 — 同じ立場の人の行動が、続ける力になる
自分と同じ立場の人がどうしているか。人はそれを、自分の行動の目安として受け取りやすい傾向があります。行動経済学ではこの働きを社会規範と呼び、3分類では「状況」に位置づけられます。
同書では、アメリカの省エネサービス会社オーパワーの取り組みも紹介しました。オーパワーは、家庭ごとのエネルギー使用量を地域の類似家庭と比較した「ホーム・エネルギー・レポート」を各家庭に届けています。レポートには平均より少ないか多いかが一目でわかる表示が添えられ、エネルギー効率の良い隣人の情報も載っています。この情報がきっかけとなって省エネ行動が広がり、レポートは2007年以来、1700万以上のアメリカの家庭に配布されてきました。
オーパワーの工夫は、声かけではなく社会規範を仕組みとして組み込んだ点にあります。患者指導であれば、記録表やフィードバックの際に渡す紙で、このことを活用することができます。具体的には、本人の数値の推移に、同じ条件の患者さんたちの平均的な変化を並べて示すのも一つの方法でしょう。続けているのは自分だけではないという感覚が持てると、次の一歩を踏み出しやすくなります。まとまったデータを用意できない場面もあるでしょう。そうしたときは、面談のなかで「同じような患者さんも取り組んでいます」と言葉で添えると、社会規範の後押しが期待できます。
患者の自律性を守る使い方 — 行動経済学の原則
ここまで紹介した対処に共通するのは、患者さんが望ましい行動を選びやすいように環境と伝え方を整える、という発想です。こうした小さな働きかけは「ナッジ」と呼ばれ、相手に選択の自由を残したまま行動を後押しします。基本の考え方はナッジ理論の解説記事で紹介しています。
医療で行動経済学を使うときは、3つの原則を意識してみてください。患者さんの自律性を尊重すること。働きかけの意図を隠さないこと。そして、いつでも断れる、選び直せる余地を残すことです。働きかけの内容を患者さんにそのまま説明できるかどうかが、一つの確認点になります。
本稿で取り上げた4つの理論は、患者さんの行動の背景を理解する助けにもなります。原因を理解することは、無理のない働きかけを設計する土台になるのです。
まとめ — 患者指導と行動変容に行動経済学の視点を
患者さんが指導を守れない背景には、現在志向バイアスや解釈レベル理論、計画の誤謬、社会規範といった意思決定の傾向があります。行動変容ステージモデルで現在地を整理し、行動経済学で止まる原因を読み解くと、対処は具体的に設計できます。
将来の利益を近くに引き寄せ、計画を直近の具体に落とす。うまくいかない日をあらかじめ織り込み、同じ立場の患者さんの取り組みを見えるようにする。本稿で見てきた働きかけは、この4つに整理できます。面談の組み立てを見直すところから、無理なく始められます。
先送りも計画倒れも、人間の意思決定に広く見られる現象です。それらを前提に、患者さんの自律性を守りながら、行動につながる患者指導を設計してみてください。
この記事でご紹介した考え方は、実際の診療の場面で活かせます。内科医・朝鳥大介先生との対談動画「医師 × 行動経済学者 特別収録動画」では、患者さんの行動変容を現場で促す具体的な方法を、臨床のシーンに沿って解説しています。
FAQ
よくある質問
Q患者の行動変容とはどういう意味ですか?
禁煙や減量、服薬の継続、生活習慣の見直しなど、患者さんが健康のために行動を変えていくことを指します。知識の提供と行動の変化は別の課題であり、意思決定の傾向を踏まえた働きかけの設計が役立ちます。
Q行動変容の具体例は?
禁煙、減塩、運動習慣づくり、服薬の継続、定期的な検査の受診などが代表的な例です。支援の工夫としては、計画を直近の行動まで具体化することや、記録で進み具合を見えるようにすることなどが有効です。
Q行動変容の5原則は?
「5原則」ということばは、分野や資料によって指す内容が異なります。患者指導の分野で広く知られているのは、行動変容ステージモデルの5段階です。無関心期・関心期・準備期・実行期・維持期という区分で、変化への準備状況をとらえる枠組みです。
Q看護における行動変容とは?
患者さんが健康のために行動を変えていく過程を、看護師が日々の関わりの中で支えることを含めて指します。声かけの設計や記録の工夫など、看護は行動経済学の知見が活きる場面の多い仕事です。
Q行動経済学は患者指導にどう役立ちますか?
患者さんが指導を守れない原因を「認知のクセ」と「状況」と「感情」の3つの視点から整理できます。原因がわかると、伝え方や計画の立て方を具体的に設計し直せます。患者さんとの関係を保ちながら支援を続けるうえでも役立つ知見です。
医療監修

朝鳥 大介(あさとり だいすけ) さつきホームクリニック 副院長
専門:リウマチ膠原病、緩和ケア
資格:内科専門医/リウマチ専門医/感染症専門医/緩和医療認定医/産業医
在宅医療の現場で、病気だけでなく、患者・家族の生活全体を診療する内科医。産業医として、企業のヘルスメンテナンスにも従事。
さつきホームクリニック:https://satsuki-hc.com/



