What you’ll learn
- 行動経済学を人事・採用に活かす意味と、3分類(認知のクセ・状況・感情)での全体像が理解できる
- 確証バイアス・系列位置効果・並列評価など、面接設計に直結する手法がわかる
- 顔写真なし履歴書やブラインドオーディションなど、状況を変える選考プロセスの実例を知ることができる
- ポジティブ・アフェクトを高める求人体験など、感情に働きかける施策の考え方を学べる
- DEI推進に行動経済学がどう役立つかを、デフォルト効果と真理の錯誤効果の観点で把握できる
- 執筆者コメント
- 「人事と採用は、行動経済学を最も活用できる領域のひとつです。面接の判断、履歴書の設計、選考のプロセス——どこを変えるかで、応募される人材の幅も、最終的な意思決定の質も大きく変わります。私はコンサルティングの現場で、認知のクセ・状況・感情の3つの視点から制度を見直すよう企業にお勧めしています。」
行動経済学を人事・採用に活かすとは
人事と採用は、人が人を評価する仕事です。だからこそ、面接官や採用担当者の意思決定には、無意識のバイアスが入り込みやすくなります。こうしたバイアスを科学的に解明してきたのが行動経済学という学問です。理論を理解し、制度や面接プロセスに反映させると、応募率と採用の質の両方を改善できます。
私の著書『行動経済学が最強の学問である』では、行動経済学を「認知のクセ」「状況」「感情」の3つに分類しています。人事・採用に活かす手法も、この3分類に沿うと体系的に整理できるでしょう。
認知のクセは、人間の判断や記憶のゆがみです。代表例は認知バイアスの一覧にまとめています。状況とは、選考の場面や履歴書の見せ方など、判断の外側にある条件のことです。感情は、応募者と面接官の双方に働く気分や情動の動きを指します。
本記事では、認知のクセに対処する3つの手法、状況を設計する2つの手法、感情に働きかける2つの手法、計7つを順に紹介していきましょう。最後に、DEIと行動経済学の関係を取り上げます。
認知のクセに対処する手法
採用面接では、面接官の判断に複数のバイアスが同時に影響します。代表的なのが、確証バイアス、系列位置効果、単独評価の3つです。ここではそれぞれに対応する手法を見ていきましょう。
確証バイアスを抑えるサンプル作業
面接官が「この人は良さそう」と感じると、面接の残り時間で良い点ばかり探してしまう。これは確証バイアスとは何かを示す典型例です。自分の仮説を裏付ける情報を集めて、反する情報を無視してしまう傾向のことを指します。
グーグルの人事担当として、同社の従業員を6000人から6万人に増やす過程で人事システムを設計したのがラズロ・ボックです。確証バイアスを下げる工夫として、面接にサンプル作業を入れ、その結果を重要視しました。
サンプル作業なら、決まった採点法で評価できるため、確証バイアスを減少させられます。実装のポイントは、評価軸を先に決めておくことです。職種に応じた小さな作業を設計し、面接官全員が同じ基準で採点する仕組みを作ります。
面接官の主観だけに頼ると、好印象を補強する情報ばかりが集まりがちです。しかし、「この候補者がこの作業でこういう結果を出した」という事実が先にあると、面接官同士の議論も成果物の評価に焦点を移しやすくなります。
採用面接の前半に印象が固まる現象は、面接時間の使い方にも影響を及ぼします。残り時間をどう使うかを意識的に設計しないと、後半は確認作業に終始してしまうでしょう。
系列位置効果を理解した面接設計
系列位置効果(Serial Position Effect)とは、人がいくつかの情報を覚えようとするとき、情報の「順番」によって記憶の定着度合に差が出るという理論です。面接官は1日に何人もの候補者と会います。記憶に残っていなければ、評価会議の比較対象にも入らない結果になりがちです。
ここで影響するのが「初頭効果(Primacy Effect)」と「新近効果(Recency Effect)」です。初頭効果とは、初めに得た情報が印象に残り強い影響を与えるというもので、アメリカの心理学者ソロモン・アッシュが発表しました。新近効果は、最後の情報が意思決定に大きな影響を与える理論で、ドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウスが発表しました。
採用に応用すると、選考会議のタイミングで使い分けが可能です。会議後、幹部が集まってその日のうちに結論が出るなら、最後にプレゼンする候補者が新近効果を取りやすくなります。各自検討して、来週までに結論が出るなら、最初にプレゼンした候補者の初頭効果が残ります。時間を置くと新近効果は消えてしまうためです。
選考設計者の立場では、面接官に系列位置効果を意識させる工夫が役立ちます。候補者の評価シートは面接直後に書いてもらうのも良いでしょう。
単独評価ではなく並列評価で候補者を見る
1人ずつ個別に評価するか、複数を並べて比較するか。この違いが、採用の意思決定を左右する手がかりになります。1996年にシカゴ大学の教授クリストファー・シーが発表した研究があります。「あなたはコンサルティング会社のオーナーで、KYというコンピュータ言語を使えるプログラマーを探している」。この設定で、被験者に質問する内容でした。
候補者は2人です。候補者1は過去2年間に書いたKYプログラムが10本でGPAは4.9、候補者2は過去2年間に書いたKYプログラムが70本でGPAは3.0という条件で提示されました。
候補者2人を比較した並列評価では、候補者2のほうがオファーの報酬額が6%高くなるという結果でした。並列評価することで、GPAよりも、実務により関連しているKYプログラムの本数に焦点が置かれたためです。
ところが、比較しない単独評価では、候補者1のオファーの報酬額のほうが20%以上高くなりました。この研究結果は、消費者の商品選択だけではなく、人材採用プロセスにおける採否や報酬水準の決定にも単独・並列評価が影響することを示しています。
候補者を1人ずつ評価していると、面接官は「カバーの有無」のような表面的な軸——たとえばGPAの高さ——に注目しがちです。これに対して並列で見比べると、実務に直結する軸へ焦点が移ります。
状況を設計する手法
ここからは、状況の側を動かす2つの手法を紹介しましょう。状況の設計を変えると、面接官の意識づけだけでは届かなかった部分にまで効果が及ぶ場面が増えます。履歴書の作り方や選考プロセスの設計に、行動経済学の視点を入れる方法を見ていきましょう。
バイアスを取り除く履歴書設計
アメリカでは顔写真なしの履歴書が一般的です。意識が高い会社だと、書類審査では名前や年齢も伏せます。名前で性別はわかってしまいますし、アメリカでは母国や宗教などのルーツに無意識に影響されてしまうからです。
一次選考を通過して面接すれば人種や性別はわかります。それでも、少なくとも第一関門ではバイアスを取り除いて選考しようという取り組みです。書類審査の段階で属性情報が見えないと、評価の軸は経歴と実績だけに絞られます。
この方法を導入しているクライアントの保険会社のCEOによると、コネ就職も少なくなり、良い人材が採用できるようになったとのことでした。属性情報を見せないという一見小さな状況の変更が、応募から選考までの母集団と意思決定の質を、実務レベルで動かしたという証言です。
日本の採用慣行では、履歴書に顔写真を貼る運用が広く根づいています。アメリカと同じ運用にすぐ移行できなくても、書類審査の段階で名前と顔写真をマスクして担当者に渡すなど、運用面の工夫から始められます。書類審査と面接で、面接官が見る情報量を意図的にずらしてみてください。
状況を変える選考プロセス
男性優位の音楽界で、あるアメリカのオーケストラでは女性演者が少ないことを問題視していました。審査員は「男女差別なんてしていない」と口にします。しかし、カテゴリー化のバイアスが無意識であることを示している現象です。
そこで行動経済学的に「状況」を変えました。オーディションをする際、幕を下ろして演奏してもらう——つまり、姿を見ずに音色だけでバイオリニストやチェリストなどを選抜したのです。1970年には全体の5%以下だった女性が、1997年には25%になりました。
採用に応用するなら、選考プロセスの一部で、バイアスに関連しそうな情報を「見えない」ように設計するという発想です。コーディング選考やケース面接で、応募者の名前と所属を伏せた状態で成果物だけを評価する。電話面接の前に、テキストベースの課題回答だけを複数の評価者でレビューする。状況を変えてバイアスの作用を1段階抑える有効な工夫です。
感情に働きかける手法
人事と採用は、応募者と面接官、双方の感情が動く場面でもあります。感情の動きは、応募の決断、志望度の維持、入社後の定着までを左右する要素です。ここでは感情に働きかける2つの手法を取り上げます。
ポジティブ・アフェクトを高める求人体験
ポジティブな感情は、応募から入社までの体験を支える土台になります。アフェクトとは、感情の中でも意識に上りにくい弱い感情を指す行動経済学の概念です。
ノースカロライナ大学の心理学者バーバラ・フレデリクソンは、「拡張-形成理論(Broaden and Build Theory)」を発表しました。現在までに2万件以上の引用がされている研究です。
ポジティブな感情は、視野や思考の幅を広め、ストレスによる身体と心の不調を整えてくれます。打たれ強くなり、レジリエンス(精神的な回復力)も身についていく。さらに能力・活力・意欲が高まります。
求人体験に応用するなら、応募から面接までの導線を、ポジティブな感情が残る設計に変えることです。エントリーフォームの確認画面で感謝のメッセージを添える。面接前の案内メールに、当日のオフィスで楽しみにしている点を1文書き添える。面接の冒頭で、応募者が落ち着いて話せる時間を1分作る。
ポジティブ・アフェクトを高める工夫は、応募者だけでなく現職の社員にも効果が出ます。「上司に信用されている、任せてもらっている」と感じた部下は、ポジティブ・アフェクトが高まり、自己肯定感も上がるでしょう。注意力と思考力が高まり、コミットメントも強くなります。社員の働き方が変わると、口コミやリファラルを通じて、次の応募者層の質も変わっていくでしょう。よりアフェクトについて学んでみたいと言う方は、相良奈美香によるオンライン講座「アフェクト入門講座」もぜひご参考ください。
エスノグラフィー的観察で現場を理解する
アメリカに「アンダーカバーボス」という人気テレビ番組があります。企業の社長が変装して自社の工場などで従業員に混じって仕事をするという、エスノグラフィーをドキュメンタリー化したような設定です。多くの社長は実際に工場で製品を一緒に作ってみて、「データでは全然わからなかった問題点がいっぱいある」と気づきを得ます。番組の人気の秘密でもある場面です。
経営者ともなれば、組織の下のほうで働いている人の行動心理はわからなくなりがちです。アンケートのデータや人事面談による回答だけ集めて改善するのは無理があります。採用設計でも、人事担当者が現場のチームに数日入ると、実際の業務の流れと感情の動きを観察できます。求人票の文言から面接の質問内容まで、肌感覚で精度が上がるでしょう。
数値データの分析と、現場での観察。両方を組み合わせると、人事制度の改善は具体的なものに変わります。社員のリアクションや日常会話の中身など、データシートに載らない情報は、現場に入らないと拾えません。
DEIと行動経済学——人事・採用の最前線
ここまで紹介した7つの手法は、企業の中の意思決定を1つずつ変えていく方法です。これを社会全体のレベルに広げると、DEIという大きなテーマにつながります。
DEIとは、多様性(Diversity)と公平性(Equity)と包括性(Inclusion)の頭文字を取った概念です。これらを実現させるにはどうすればよいか、日本でも盛んに議論されている話題でしょう。日本のジェンダーギャップ指数は、主要国で最下位の146カ国中116位です。
執筆者は同書の執筆中に、100人近いエグゼクティブたちの集まりに招待され、DEIについて行動経済学の観点から基調講演を行いました。アメリカでは、DEIが企業経営の新しい論点として議論の中心になりつつあります。
DEIを推進する際、特に注目すべきなのがデフォルト効果です。今まで白人男性中心だった組織だと、すべてが「白人男性中心」のデフォルトとなり、現状維持バイアスも同時に働きます。一度デフォルトになったことを変えるのは大変です。まずはクリティカルシンキング(批判的思考)で、自分たちのデフォルト効果によるバイアスを認知する必要があります。
真理の錯誤効果(Illusory Truth Effect)も、文化を変える際に影響を持つ概念です。「女性は〇〇」とか「LGBTQの人は〇〇」といった話をニュースや同僚との会話で何度も耳にします。すると自分が信じていなくても、そういう意見が「聞き慣れている考え」として残ります。あたかもそれが正しいかのように錯覚してしまうのです。聞き慣れた概念は「社会規範」となり、多くの人に影響を与えます。
人事制度の見直しの局面でも、デフォルトと社会規範の両方が作用しているのです。「うちの会社では昔からこうだから」という暗黙のデフォルトと、「管理職は〇〇のような人がよい」という社会規範が組織に根づいています。この2つが重なると、面接基準の表面を変えても、最終決定が同じ方向に戻ってしまうのです。
行動経済学の観点で DEI を進めるなら、デフォルトを書き換え、聞き慣れた規範を意識的に組み替えるという発想が要です。制度の見直しと並行して、日常のコミュニケーションでも規範への意識を共有していくと、応募者層と意思決定の両方に変化が出ます。
まとめ
行動経済学を人事・採用に活かす方法を、3分類のフレームで7つに整理しました。認知のクセに対処する手法として、サンプル作業・系列位置効果・並列評価の3つを取り上げました。状況を設計する手法では、顔写真なし履歴書とブラインドオーディションの2つです。感情に働きかける手法では、求人体験設計とエスノグラフィー的観察の2つを紹介しました。さらにDEIの観点から、デフォルト効果と真理の錯誤効果が組織変革にどう関わるかを取り上げています。
7つの手法は、制度や状況の側を設計する発想で組み立てられています。意思決定の入口に変更を加えれば、応募率と採用品質の両方に変化が起きるでしょう。まずは自社の選考プロセスを認知のクセ・状況・感情の3つの観点で見直し、どこに課題があるかを洗い出してみてください。
FAQ
よくある質問
Q行動経済学を人事・採用に活かすと、どんな効果がありますか?
面接官のバイアスを抑え、応募者の母集団と意思決定の質の両方を改善できます。確証バイアスや系列位置効果を抑える面接設計、顔写真なし履歴書のような状況設計、ポジティブ・アフェクトを高める求人体験。それぞれが応募率と採用品質に影響する独立した施策です。
Q人事・採用で行動経済学をもっと学ぶには、何を読めばよいですか?
先に挙げた拙著『行動経済学が最強の学問である』が入門書として適しています。同書では確証バイアス・系列位置効果・並列評価・顔写真なし履歴書・DEI など、採用と人事評価の場面で働く認知の偏りを体系的に取り上げています。
Q顔写真なし履歴書は日本でも導入できますか?
日本の採用慣行ではすぐの移行は難しい場面もありますが、書類審査の段階で名前と顔写真を担当者に見せない運用から始められます。ある保険会社のCEOによれば、属性情報を見せない取り組みでコネ就職が少なくなり、良い人材が採用できるようになったという証言があります。
Q並列評価と単独評価では、何が違うのですか?
並列評価は複数の候補者を並べて比較する方法、単独評価は1人ずつ個別に評価する方法です。クリストファー・シーの研究では、並列評価のときは実務に直結する軸が重視され、単独評価のときは表面的な軸が重視されました。同じ候補者でも、評価方法によって判断の軸が変わるという研究結果です。
QDEIを推進する際、行動経済学はどう役立ちますか?
DEIを妨げるのは、デフォルト効果と真理の錯誤効果という2つの認知のクセです。組織のデフォルトと、聞き慣れた社会規範の両方を意識的に組み替えると、応募者層と意思決定の両方が動きます。






