What you’ll learn
- ポジティブアフェクトと拡張-形成理論の関係
- 職場で実践できる5つの具体的方法
- ポジティブ対ネガティブの比率を管理する考え方
- やってはいけない2つの落とし穴
ポジティブアフェクトとは — 仕事の意思決定を動かす淡い感情
ポジティブアフェクトは、喜びや感謝、安心といった「淡いポジティブな感情」のことです。強い喜怒哀楽とは違って自覚されにくいのですが、日常の判断や仕事のパフォーマンスに多くの影響を与えます。
私の著書『行動経済学が最強の学問である』では、行動経済学を「認知のクセ」「状況」「感情」の3つに分類しています。このうちポジティブアフェクトは「感情」カテゴリーの中核です。
たとえば、朝のコーヒーが思いのほかおいしくて少し気分がいい状態、同僚から短い感謝のメッセージが届いて何となく嬉しい状態。本人がはっきり「嬉しい」と言葉にしない程度の小さな感情が、その日の意思決定や対人コミュニケーションに影響を与えるのです。アフェクトという概念そのものについては、別記事の行動経済学のアフェクトとはで詳しく解説しています。本記事では、職場という文脈に絞って、ポジティブアフェクトをどう増やすかに焦点を当てましょう。
なぜ職場で淡い感情に注目する必要があるのか。強い感情(怒りや恐怖)が判断を歪める話は広く知られています。しかし実際の業務時間の大半は、こうした淡い感情が背景に流れている状態で行われています。1日の意思決定の総量を考えると、その積み重ねは無視できません。
ポジティブアフェクトが仕事の生産性を上げる理由 — 拡張-形成理論
ポジティブアフェクトが仕事の生産性を上げる科学的な根拠が、「拡張-形成理論(Broaden and Build Theory)」です。
ノースカロライナ大学の心理学者バーバラ・フレデリクソンが最初に発表しました。現在までに2万件以上の引用がされている理論です。数多くの研究論文に裏付けられた科学的な知見であり、職場のマネジメントに応用する価値が十分にあります。
理論のエッセンスはシンプルです。ポジティブな感情は、視野や思考の幅を広げ、ストレスによる身体と心の不調を整えてくれます。そればかりか、打たれ強くなり、レジリエンス(精神的な回復力)も身についていきます。
ここからが仕事への直接的なインパクトです。ポジティブな感情のもとでは、能力・活力・意欲が高まり、人脈や活動の範囲が広がります。つまり、ポジティブな感情は仕事の効率も質も上げ、心身のストレスを軽減させることができるのです。
「視野や思考の幅が広がる」は抽象的に聞こえますが、業務シーンに置き換えると非常に具体的です。ネガティブな感情のもとでは、人は目の前のリスクや不安に注意を集中させてしまうのです。サバイバルには必要な反応ですが、新規アイデアの探索や別の選択肢の検討は止まってしまいます。ポジティブアフェクトのもとでは逆に、視野が広がり、一見関係のなさそうな情報同士を結びつけて新しい解を生み出しやすくなるのです。創造性が問われる企画職や、複数の利害関係者を調整するマネジメント職ほど、この差が結果に出てきます。
「打たれ強くなる」も同様です。失敗やネガティブなフィードバックを受けたあと、ポジティブアフェクトの蓄積がある人は立ち直りが早く、次の挑戦に向かえるのです。ない人は1回の失敗で動けなくなり、次のチャレンジまでに時間がかかってしまいます。営業の不調期、プロジェクトの炎上期、長期プロジェクトの中だるみ期に、この差は組織のパフォーマンスを大きく左右するでしょう。
個々人への影響はもちろんですが、その成果が積み重なり、企業や経済のレベルで違いが生まれてきます。拡張-形成理論は、個人の幸福度に加えて、企業の発展にも大きな意味をもつ理論です。職場でポジティブアフェクトを増やす取り組みは、業績への直接的な投資として位置づけられるのです。
メカニズムをもう少し分解しておきましょう。ポジティブな感情は認知や行動の範囲を拡張し、より柔軟で創造的な思考を可能にしてくれるのです。そこから心理的・社会的・身体的な資源(スキル、信頼関係、健康など)が形成されていきます。形成された資源はさらにポジティブな感情を呼び起こすので、自己実現や幸福感が高まる上昇スパイラルになっていくでしょう。この「拡張」と「形成」が反復するから「拡張-形成」と名付けられました。
ここから先は、この理論を職場でどう実装するか、5つの方法に分けて具体化していきましょう。
職場でポジティブアフェクトを増やす5つの方法
ここからは、職場でポジティブアフェクトを増やす5つの方法を具体的に紹介していきます。いずれも拡張-形成理論やアフェクト伝染の研究と、私自身が組織運営で実践してきた知見に基づくものです。順番は取り組みやすさで並べました。下から始めても構いません。
1. 部下を「ボランティアスタッフ」と思って接する
「部下が成果を出せるかは上司の責任」これは私の哲学であり、いつも口にしている言葉でもあります。
日本では「給料をもらっているんだから、がんばって当たり前」という考え方がいまだに主流です。しかし、行動経済学の研究と私自身の経験からはっきり言えることがあります。ポジティブアフェクトをもって働いてもらうほうが仕事の成果は上がりますし、定着率も高いという事実です。
そこで意識したいのが、部下を「職場に手伝いに来てくれたボランティア」と考え、「いつもありがとう」と思いながら接するという姿勢です。言葉遣いをへりくだれという話ではありません。上司側の前提を、命令する側から協力してもらう側へ置き換えるということです。
前提が変わると、部下への接し方が自然に変わってきます。「やって当たり前」のタスクが「やってくれてありがとう」のタスクに変わり、短い感謝の言葉が日常的に出るようになるでしょう。その一言が部下のポジティブアフェクトを生み出し、拡張-形成理論のスパイラルが回り始めます。
上司が部下を感謝してることが伝わると、部下のポジティブアフェクトが高まり、自己肯定感も上がるのです。そうすると注意力、思考力が高まり、コミットメントが強くなり、何より部下が成長してくれます。仕事の質が上がれば業績も自然に上がるでしょう。ポジティブアフェクトを積極的に取り入れることは、仕事の一部、むしろ重要な仕事そのものです。
逆に、部下が思うような成果を出せないときに叱るのは逆効果です。ネガティブアフェクトを引き出してしまい、能力の発揮を妨げます。成果が出ないときこそ、原因とその対策法をともに考え、成果を出せるようにするのが上司の仕事です。叱責は問題解決の手段ではありません。ただの感情の発散だと意識すれば、上司側のふるまいは変わってきます。
2. 部下に裁量を与える
拡張-形成理論を職場で活かす王道のアプローチが、部下に裁量を与えることです。自分で決められる範囲が広がると、その仕事は自分のものになります。「やらされている」感覚から「任されている」感覚に変わり、ポジティブアフェクトが高まります。
裁量という言葉は抽象的に聞こえますが、現場での実装はシンプルです。進め方を本人に決めてもらう、納期内であれば作業時間を自分で配分できるようにする、ミーティングで誰に何を確認するかを任せる。こうした日常レベルの判断機会を増やすところから始められます。予算や人事といった大きな決定権を渡せる立場でなくても、小さな裁量は今日から渡せるのです。
私自身、部下の意見をできるだけ聞くようにしています。それがよければもちろん採用しますし、私の腹案より少し劣るくらいであれば部下の案を採用するのです。採用されれば「がんばろう」と思えますし、成長にもつながるでしょう。私の案を使うよりも、もっと大きなリターンが期待できるからです。
もうひとつ実践してほしいのが、部下を認め、ほめることです。特にクライアントの前でほめると効果が大きい。日本人は身内をほめないといいますが、ほめて悪いことなどありません。部下のモチベーションも上がりますし、クライアントには「この社員は若いけれど信頼されているんだ」と印象づけられます。
3. 会議冒頭に「今週うまくいったこと」を共有する
もっとも手軽に始められる方法が、会議冒頭に「今週うまくいったこと」を共有する時間を5分ほど設けることです。些細な進捗でも、顧客から届いた感謝のメールでも、何でも構いません。
効果が大きい理由はふたつあります。ひとつめは、参加者ひとりひとりが自分の仕事のポジティブな側面に意識を向けることで、ポジティブアフェクトが直接生まれることです。ふだんは反省点や課題に注意が向いている人ほど、視点を切り替える機会として効きます。
ふたつめは、淡い感情は人から人へ伝染しやすいという「アフェクト伝染」の性質です。誰かのポジティブな話を聞くと、聞いている側にも自然とポジティブアフェクトが移っていくのです。会議冒頭の5分が、その後1時間の議論の質を変えてくれます。暗いトーンで始まった場合と明るいトーンで始まった場合では、出てくるアイデアの幅もリスクの取り方も明らかに違うでしょう。
「成果報告と何が違うのか」と聞かれることもあります。答えは、目的の違いにあります。成果報告は組織のための情報共有。一方、この共有時間は参加者本人のアフェクトのために設けるものです。数値や進捗ではなく、本人が「よかった」と感じた出来事を本人の言葉で話してもらう。この差が、聞き手のアフェクトに伝染するかどうかを決めるのです。
4. アフェクト伝染を意識し、ネガティブを「加工」して伝える
ポジティブアフェクトだけではなく、ネガティブアフェクトも伝染します。特にネガティブアフェクトを無加工で相手に伝えてしまうと、相手からのリアクションはさらにネガティブなものになります。相手の反応に強い影響を与えているのは、自分のアフェクトであることを理解しておきたいところです。
職場で考えてみてください。部下をイライラした声で怒鳴りつけている人がいると、自分が直接ぶつけられているわけでもないのに、心がザワザワして嫌な気持ちになります。ネガティブで伝えるから、ネガティブが返ってくる。これを続けるうちは、永久に負のスパイラルを止められません。
解決する方法はひとつだけです。ネガティブな感情を、そのままの形で相手にぶつけるのをやめることです。ひと呼吸おいてから、明るいトーンで伝えるようにしましょう。
コツは、たとえば日本語がわからない人でも「この人は機嫌が悪くないんだな」と思えるような、非言語でも伝わる空気をつくることです。表情、声のトーン、姿勢のこわばり。言葉の内容以上に、これら非言語のシグナルがアフェクトを運んでいます。ポジティブアフェクトも伝染しやすいので、職場の空気が明るくなっていくでしょう。
もうひとつ、嬉しい副産物も生まれます。いつもポジティブアフェクトでいると、たまにネガティブアフェクトをちょっとでも出しただけで、相手が汲み取ってくれるのです。普段は笑顔でいる人が少し機嫌が悪そうなら、周囲は「どうしたのかな」と気にかけてくれる。しかし、いつも不機嫌な人だとそうはなりません。本当に厳しいフィードバックを伝えたいときに届くかどうかは、日常の積み立てで決まるということです。
上司から部下への伝達だけでなく、同僚同士のやり取りでも同じ原則が働きます。プロジェクトの進捗が遅れているという同じ事実を、苛立ちのトーンで伝えるのか、解決志向のトーンで伝えるのか。受け取る側のその後の働き方が変わります。
5. ポジティブ対ネガティブの比率を3対1にする
拡張-形成理論を提唱したフレデリクソンの研究では、心身が充実した「フラリッシング」状態の人について興味深いデータがあります。ポジティブとネガティブの感情比率が3対1以上だった。そうでない人は平均で約2対1にとどまっていた、というものです。
この知見はチーム単位でも応用できます。チーム内のポジティブなやり取りがネガティブより多いチームほど、パフォーマンスが高い傾向があります。週次の振り返りで、メンバー間のフィードバックがポジティブとネガティブで何対何になっているか、ざっくりでよいので意識してみてください。
計測の仕方は厳密でなくて構いません。1週間のチームチャットを眺めて、感謝や承認のメッセージと、指摘や修正依頼のメッセージをざっくり数えてみる。この程度の粗い計測でも傾向は見えてきます。2対1や1対1になっているチームでは、メンバーが本音を出せないモードに入っている可能性があります。
大切なポイントは、ネガティブをゼロにする必要はないという点です。適度なネガティブ・フィードバックは成長に必要で、比率が鍵になります。ポジティブ側を意図的に増やすほうが、ネガティブ側を抑え込むよりはるかに健全です。
やってはいけない2つの落とし穴
ポジティブアフェクトを職場で増やそうとするとき、よくある誤解が2つあります。どちらも善意から起きるのですが、結果として職場の心理的安全性や成長機会を損ねてしまうのです。5つの方法を実装する前に、ここを押さえておくと回り道を避けられるでしょう。
1. ネガティブ感情をゼロにしようとしない
一つ目の落とし穴が、ネガティブ感情を職場からゼロにしようとすることです。適度なネガティブ・フィードバックは成長に不可欠で、抑え込むと問題が表面化しなくなってしまうのです。
「悪い話は会議に持ち込まないでほしい」、あるいは「明るい話題に絞ろう」という運用は、短期的には居心地のよさを生みます。しかし長期的にはチームの判断力を弱めてしまうのです。問題は消えてくれません。見えなくなって、水面下で悪化していくだけでしょう。目指したいのはネガティブの排除ではありません。ポジティブ対ネガティブの比率を3対1程度にすることです。
ネガティブな指摘を受けたときに上司側がどう反応するかも重要です。「持ってきてくれてありがとう」と最初に受け止めてから議論に入ると、ネガティブな情報がチーム全体の学びに変わります。ここでもアフェクト伝染が働いているということです。
2. ポジティブ感情を強制しない
二つ目の落とし穴が、ポジティブ感情を上司や組織がメンバーに強制することです。表面的なポジティブの強要は本音を出せない空気を生み、心理的安全性を損ねやすくなるのです。
「もっと明るく」とか「ネガティブなことを言わないで」といった言葉が頻繁に飛ぶ職場では、メンバーは本音を出せなくなり、本来は早めに拾えるはずの問題が水面下に沈んでしまいます。ネガティブな感情は無理にゼロにするのではなく、きちんと受け止めて対処すること。そのうえで、ポジティブが自然に生まれる環境を仕組みとして設計することが大切です。本記事で紹介してきた5つの方法は、いずれもポジティブな感情を直接「持て」と命じる方法ではありません。感謝が自然に生まれる前提を作る、裁量を渡して自己効力感を高める、共有時間を設計する。いずれも感情が生まれる前段に手を入れるアプローチを採っています。ここを取り違えると、せっかくの取り組みが逆効果になりかねません。
まとめ — 5つの方法を明日から実践する
本記事で紹介した、職場でポジティブアフェクトを増やす5つの方法をもう一度整理します。
・部下を「ボランティアスタッフ」と思って接する
・部下に裁量を与える
・会議冒頭に「今週うまくいったこと」を共有する
・アフェクト伝染を意識し、ネガティブを「加工」して伝える
・ポジティブ対ネガティブの比率を3対1にする
拡張-形成理論が示しているのは、ポジティブな感情は仕事の効率も質も上げ、心身のストレスを軽減させるということです。個人の幸福度だけでなく、企業の発展にも大きな意味をもちます。ポジティブアフェクトへの投資は、ソフト面の施策に見えて、業績への直接投資なのです。
まずは明日の朝礼から、5つのうちのひとつを試してみてください。会議冒頭の5分を「うまくいったこと」の共有に充てる、あるいは部下に対して「いつもありがとう」と言葉に出す。この程度の小さな一歩で十分です。拡張-形成理論のスパイラルは、最初の一歩が小さくても回り始めます。
チーム内のメッセージのトーン、会議で出るアイデアの幅、メンバーの定着率。これらの指標が少しずつ変わってきたら、その変化はポジティブアフェクトの蓄積が生み出したものです。短期で結果を求めず、淡い感情を積み上げる視点で取り組んでみてください。
感情を含めた行動経済学全体の枠組みをまず押さえたい方は、行動経済学とはもあわせてお読みください。
顧客の側に対しても、同じ知見が活用できるのです。ポジティブアフェクトをマーケティングや商品設計でどう活用するかは、別記事の行動経済学のマーケティング活用で解説しています。組織内側と顧客側の両方で意識すると、効果が複利で効いてくるでしょう。
FAQ
よくある質問
Qポジティブアフェクトと「ポジティブシンキング」の違いは何ですか?
ポジティブアフェクトは「淡いポジティブな感情」で、自覚しにくいけれど判断や行動に影響を与えるものです。ポジティブシンキングは「前向きに考える」という思考の話で、別の概念だと考えてください。アフェクトは思考の前段にある感情層に働きかけるので、無理に明るく考えようとしなくても効果が出るのです。前向きな思考を維持するのが苦手な人でも、環境設計でアフェクトを整えるアプローチなら取り組みやすい方法になるでしょう。
Q一人で働く環境でもポジティブアフェクトは増やせますか?
増やせます。楽しかった家族旅行の写真をデスクに飾る、使いやすい上質なペンで契約書にサインする、いいイメージを思い浮かべて気分を整える。こうした小さな工夫で、いい気分のままクリエイティビティを上げられるのです。ストレスの多い会議のあとに温かい飲み物を飲んでホッとするのも有効でしょう。個人ワーカーの場合、上司に頼らず自分でアフェクトを設計できる分、むしろ実装しやすいとも言えます。
Qチーム全体にポジティブアフェクトを広げるにはどうすればよいですか?
アフェクト伝染の性質を活用するのが近道です。上司やチームリーダーがまず自分のアフェクトを整え、笑顔と明るいトーンで日常のやり取りをすること。そのうえで本記事の方法3「会議冒頭の共有」のような共通ルーティンを入れると、組織全体に波及していくはずです。ボトムアップで広げたい場合は、自分が関わるミーティングだけでも「うまくいったこと」共有から始めるとよいでしょう。
Qネガティブな感情は職場から完全に排除すべきですか?
排除すべきではありません。適度なネガティブ・フィードバックは成長に不可欠です。目指したいのは、ポジティブ対ネガティブの比率を3対1程にすることです。本記事の「落とし穴」の章で詳しく扱っています。ネガティブな情報を持ってきたメンバーをどう受け止めるかが、その後の組織学習を左右します。
Q拡張-形成理論はどのような研究で示されてきましたか?
拡張-形成理論は、心理学者バーバラ・フレデリクソンが1998年の論文で最初に発表し、2001年と2004年の論文で発展させた、ポジティブ心理学の中核理論のひとつです。ポジティブ感情には、思考や行動の幅を広げる「拡張」の働きと、知的・身体的・社会的・心理的なリソースを長期的に築き上げる「形成」の働きがあるとする理論です。アフェクトの研究と密接に関わる領域として、ビジネスや組織づくりにも応用されています。






